善と悪の間

maru20042008-09-24


先日、外食していたら両親と子供2人が店に入ってきて、小一時間したら何故か子供たちだけフラーっと店を出て行ってしまいました。そうです、親は飲みつづけるために子供だけを家に帰らしたのです。(子供は小学校低学年のお兄ちゃんと未就学の弟、時刻は19時過ぎ!)危ねー!!これって子供の殺人事件がニュース報道された翌日ぐらいですよ…、信じられます?ちなみに、この店は住宅街じゃなくて大阪市内の繁華街のすぐ近くです。

このところの事件をみてたら「何で?」と思うようなことが多いし、日常生活でも「えー!そんなことするか?」と呆れるばかり。ということで、ボンヤリ考えてみました私の考える「善と悪」。まあ各国の倫理観や宗教観によって意味が変わるみたいなので、ここではあくまで日本で一般的に捉えられているイメージでの話にします。

どちらかと言うと、私は「性善説は信じない」ということになりますが、子供や教育論に関しては性善説的アプローチが有効だと思っています。しかし大人に関しては私の勝手な印象で言うと、日本国民をザックリ分けたら、生来のというか100%に近い「善」と「悪」は少ないから便宜上それぞれ1割として、後天的な「善」(社会規範とか道徳心によって自制できる)が3割くらい残りの5割はどっちにでも振れる人たちじゃないかなあという感じ。
人間て簡単に環境に左右される生き物だから、環境に染まらないような育ち方をしていないければ「楽な方に流される」ことがほとんどです。で、これらの5割の人が善悪どちらに行くのかは「暮し向き」によるところが大きいと思います。すごく傲慢な言い方ですが「貧困は人の心を腐らせる、だから貧乏人は嘘をつく」という感じ。拝金主義ではなくて、人ってある程度満ち足りた生活をしていたら人を思いやることも出来るけれど、日々の生活の不満や将来に対する不安を抱えていたら自分達のことで手一杯になりますよね。このところの不景気でこれらの層が増えたような気がします。

イムリーにmixiで自分も思っていた書き込みを見かけたのですが、

日本人ってなんだか漠然と、自分の身近なひとに対しては思いやりがあっても自分とは関係のないひとたちに対してはエラく冷たいという印象があります。

これはまさにその通り。
割合は分からないけれど、そういう人たちにとっての『みんな』は『家族と友人のみ』と同義語ですもん。それ以外はその人たちにとっては「どうでもいい人たち」なんでしょうね。そう考えたら電車とかパブリックスペースでの振る舞いの理由が納得行くでしょう(笑)。あの共感性の無さはビックリするけど。

結論を言うと、世の中の人たちに期待しても無駄です。それに自分がどれだけ正論だと思っても、そうではない世界で暮らす人には勝手な押し付けでしょう。私たちが出来るのは、ある程度近い価値観のある人を探して、そうでない人とは距離を置くぐらいでは?もしも自分自身でどうにか出来ることならばそれを実行移せば良いだけで、それを他人に求めても無理な話。世界が自分が思うレベルで均質になって欲しいと思ってしまうのは、それこそ傲慢と呼ぶべきものでしょう。

勝手に人に期待して、勝手に落ち込むな!

これは友人に言われて、今では私の自戒の言葉になっています。といっても何回も倒れて復活するのに時間が掛かってるんですけどね… orz

うーん、ここまで書いて読み返したら、あまりにも悲惨だなあ。でも、私には世の中の人を啓蒙できるとは思えないんですよねー。それよりは景気が良くなれば少しはマシな世の中になるかも、結局は金かい!?ってのはちょっとあれですが… なんだか厭世すぎるか?

さて、画像は先日行った国立国際美術館の外観です。